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「グローバル化」という言葉。

私もよくこのサイトで使っていますが、2015年現在の「グローバル化」は、10年前のそれとは全然意味が違うような感じがしながら、それをきちんと消化しないまま使っているような違和感を覚えていました。

最近、その違和感の正体を教えてくれたのが、この記事です。

シリコンバレーで起業し、次世代のパーソナル・モビリティ(スタイリッシュで機能的な車椅子)を提供しているという、WHILLという会社のこと

WHILLは、大手企業で働いていた前途洋洋たる若きエンジニアたちが集まって立ち上げた会社で、2012年に設立してすぐにシリコンバレーに進出。以来、クラウドファンディングやエンジェルファンドなどから資金調達をして製品化にこぎつけ、現在、予約がいっぱいで生産が間に合わないほどの人気なのだそうです。

起業やエンジニアリングのことは門外漢ながら、すばらしい話だと思います。元気が出ます。

でもカリフォルニアの片隅で、いろんな人種代表の賢い人たちに揉まれて、ヘロヘロになりながら仕事をしている人間の実感として、特にすばらしいと思うのが、彼らのシリコンバレーとの「地続き感」です。

彼らがアメリカ西海岸に拠点を置くことに決めたのは、純粋にマーケットが大きくて、引きが多かったからだそうなのです。

別にシリコンバレーに憧れはないし、シリコンバレーでなくてもよかった。

でも、いつかはアメリカに進出することになるなら、そしてそうなると思ったから、最初からそうしたほうがいいと判断した。

シリコンバレーじゃなくてもいい。でもそこに大きなマーケットと、製品や技術を望み、理解してくれ、資金を提供してくれる人がいるなら、行く。

という、フラットさ。

まるで、「ちょっとそこまで買い物に」というような気軽さではありませんか。

その気軽さが、すばらしいと思うのです。

もちろん、シリコンバレーで起業するのは並大抵のことではないはずです。なにしろ、お金もたくさん集まっている場所だけど、それに輪をかけて世界中の頭脳や才能が集まっている場所なのですから。

シリコンバレーで起業しようとするのは、起業のワールドカップに出場しようとするようなものです。

しかし、WHILLの人たちに、海を越え、はるばるワールドカップに出場しに行く、という気負いはないような感じがします。

シリコンバレーも、起業のワールドカップも、自分たちのプランの延長線上にある一点でしかない。目的を実現するための通過点でしかない。

一番効率的なかたちで会社を始める場所を世界に求めたら、たまたまシリコンバレーだった。

そういう感じがするのです。(もちろんご本人に伺ったわけではないので、間違った解釈かもしれません。)

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そして、今の時代のグローバル化、とは、まさにそういうことではないかという気がしてなりません。そこが、10年前の「グローバル化」との根本的な違いのような気がします。

例えば、アメリカ(というか世界?)のコールセンターは、ずいぶん前からインドです。サポートセンターに電話すると、舌をかみそうな名前の人が応対してくれる、というのは普通です。

そして、インドに大々的なコールセンターなどのアウトソースが始まった時代をグローバル化1.0と呼ぶとすれば、その時代には、「先進国」が、コストが安くて優秀な人材が揃っている新興地域を選んで、進出した。グローバル化といっても、まだまだ国や地域はそれぞれ独立したマーケットで、進出の障壁でもある一方、急激な変化から内側にいる企業や人間を守ってくれるバリヤにもなっていた。

しかし現在のグローバル化–グローバル化2.0では、国や地域の障壁が、ほとんど消滅している。これは特に、人材市場について言えることではないかと感じます。

例えば、グローバル化2.0の時代、世界のコールセンターの座は、インドからフィリピンに移りつつあるそうです。英語をしゃべる人口が多く(しかもインド人よりも聞き取りやすい英語を話す)、インドより単価も押さえられるフィリピンが、コールセンターにうってつけの供給市場として急上昇中である。そしてフィリピンでは、こういった外注ビジネスが、いま経済成長の下支えになっているそうです。

インド人もそうですが、フィリピン人もまた、アメリカに多く移民している民族です。意外かもしれませんが、下の表を見てもわかるとおり、2010年時点、フィリピン人は中国人に次いで、インドよりも大きなアジア系移民グループを形成しているのです。そしてアメリカで成功している人がたくさんいます。そういったグローバルな競争力を身に着けた人たちが、直接的・間接的にフィリピンの経済成長の原動力となっていることは間違いないでしょう。

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現地インドやフィリピンのコールセンターで働くオペレーターたちが、間接的に受注元の「先進国」のオペレーターとの人材競争に参加しているのみならず、2.0の時代は、アウトソースを発注元で仕切る側にも、インドやフィリピン側で仕切る側にも、インド人やフィリピン人が多く関わっているはずです。つまり彼らは、アメリカその他の発注元側(「先進国側」)にも、受注側(「新興国側」)にも、当事者として関わっている。この外注ビジネスは、インド人やフィリピン人にとって、大きなチャンスですし、彼らはそのチャンスを逃さないだけの資質と才能を持っているのだから、当然です。

先進国側、インド側、フィリピン側、ではない。民族に関係なく、チャンスのあるところに、力を持った人たちがどんどん引き寄せられていく。アメリカに住んでいたけれど、こ の外注ブームで一旗あげるためにフィリピンに戻った人たちはたくさんいるでしょう。逆に、この外注ビジネスブームを足がかりに、フィリピンからアメリカなどに出て くる人も多いはずです。

力のあるインド人やフィリピン人にとって、どっちの側にいるかは、もはやあまり関係ないのではないかと思います。WHILLの人たちと同じで、「どこでもいい。世界を見据えて、自分の価値が一番いい形で発揮できる場所に行く。」そういうマインドなのではないでしょうか。

そうこうしているうちに、「先進国」「新興国」の境界もあいまいになり、ただ一つの大きなうねりになって、世界中の人材を飲み込むに違いありません。どこに生まれても、どこにいても、今の時代、実はみんなが「世界」という一つの大きな土俵で戦っている。

そう考えたときに、WHILLの人たちの決断は、正しすぎるぐらいに正しい。

世界を見据えて、需要のあるところ、自分たちの価値を一番よく発揮できるところに行く。

そして今の時代、それはシリコンバレーであるかもしれないし、マニラであるかもしれない。世界中どこにも可能性がある。

逆に言えば、需要のないところ、自分の価値をきちんと発揮できないところでいくらがんばっても結果が出ない、ということにもなります。厳しさとリスクと可能性が同時に存在する時代なのです。そしてこのゲームから降りることは、誰にもできない。

昔は「東京に行って一旗上げる」などと言ったりしたものですが、いまや一旗上げる場所は東京ではなくて、世界のどこか、なんだろうと思います。

ドイツでプレーし、去年のワールドカップで日本代表で最も地に足のついた動きをした男、内田篤人選手も言いました。

「世界は近いけど広い」。

これからの時代、世界との距離を的確に把握することが、とても大事なことになる、そういう気がします。