カリフォルニア発:NBAウォッチング

カワイ・レナード 銃撃事件で突然父親を失ったとき、彼はわずか16歳だった。

2019年11月25日更新

事件の解決を求めて

ロサンゼルスのコンプトンで起こった銃撃事件で父親を亡くしたとき、カワイ・レナードはわずか16歳だった。彼のロサンゼルスへの帰郷は、未解決のままの事件の犯人をつきとめることになるかもしれない。

Looking for closure
Only 16 when his father was shot and killed at a Compton car wash, Kawhi Leonard’s return to L.A. just might help investigators solve the case

NBA.com の記事の抄訳です。あくまで抄訳ですので転載等はご遠慮ください。引用するときは原典をあたってください。

ロサンゼルスのコンプトン通り。家に帰る労働者たちでごったがえす中、M&Mスター・カー・ウォッシュで、残業もいとわず客を受け付けているのはマーク・レナード、周りにはミックという愛称で呼ばれていた、カワイ・レナードの父である。妻ジャクリーンから、妊娠の知らせを受けたばかりで、(夫婦にはそれぞれ前の結婚で子供があったが、二人の間には初めての子供だった)二人は幸せの中にいた。

レナードには他にも高校生の息子がいて、彼のバスケットボールの試合が1時間後に迫っていた。そのとき、洗車場の敷地に誰かが急ぎ足で近づいてきた。車ではなく、徒歩で。

「誰?」ジャクリーンはそういったのを覚えている。

マーク・レナードはシカゴのサウスサイド出身だが、成人してからはほとんどロサンゼルスのコンプトン付近に住んでいた。そういう所に生まれ育った人間の常として、彼も危険な人物をかぎ分ける嗅覚をもっていたはずだ。実際彼は、銃を取り上げ、使づいている男に向かってそれを向けた。しかしマークは撃たれ、一緒に逃げようとしていた妻に遅れた。妻が振り返ったとき、見知らぬ男はマークをさらに撃っていた。190センチ以上ある大男だったのに、わずか43歳で彼は帰らぬ人となってしまった。「起きてよ、子供はどうなるの?」妻は夫に取りすがって叫んだことを覚えている。

ロサンゼルス郡の警察にでは2万件に近い殺人事件が扱われており、そのうち半数近くが未解決となっている。よほど質のいい情報が入ってこない限り、未解決の事件がまた日の目を見ることはほとんどない。

ギャングスタ・ラップ発祥の地であるコンプトンに至っては、犯罪率も、暴力事件の未解決率もカリフォルニアトップである。あまりに治安が悪いため、ドライブスルーの葬儀所があるぐらいである。

しかし、カワイ・レナードがバスケットボールのスーパースターになり、今年の夏地元であるロサンゼルスのチームと契約して帰ってきたことで、マーク・レナードの事件は新たな展開を迎えるかもしれない。

家族や地元の友達を非常に大切にしているレナードは、彼らが気軽に試合を見に来、そのあと会うことができることは大きなモチベーションになると述べている。

スーパースターとして帰ってきたことが事件の転機になる可能性はある。「お父さんが亡くなったとき、カワイ・レナードは有名人ではなかった。でも今、最もワルの連中でさえカワイには好印象を持っている。彼が積極的にコミュニティで活動をしているからね」と警察の未解決事件部門担当者は言う。目撃者が出てきて、「あの時のあの事件がカワイのお父さんだったとは知らなかった」と証言してくれるかもしれない。当事者が有名人の場合、それはしばしば起こるのだ。もちろんそうなるという保証はないが、余罪を疑われている者が、自分の罪を軽くするために当時のことを話す、というような展開がありうるかもしれない。

マーク・レナードの殺人事件は強盗ではなかった。被害者が複数撃たれていることから、怨恨の線が濃いのだ。当時の捜査員は、事件数時間前の奇妙な出来事をつかんでいた。

州をまたいだドラッグの運搬で犯罪歴のある地元のギャングメンバーとおぼしき人物が、その朝マークのもとを訪れていたのだ。どうもマークに失敗した取引に対してのアドバイスを求めていたらしい。二人は顔見知りだったようだが、妻のジャクリーンはマークのドラッグ取引への関与を否定している。

マークは私との結婚を機に生活を改めたのです、と彼女は言う。「私は法曹関係の家族の出身でしたから。2006年にカーウォッシュのビジネスを一から始めて、まじめに働いていました。舗装や内装も自分でやり、夜間営業もしていました。店は繁盛していたし、黒人が経営する店ということで、まわりもサポートしてくれた。大男だったけれど、みんなにやさしかったのです。」

警察は、この人物がマークの名前をださなかったら、彼はこんな事件に巻き込まれることはなかったのではないかと考えている。その男が店を訪れたあと、三人の男がやってきて建物の外でマークと話していた。興奮した様子で、怒鳴りあっていたようである。妻が驚いて外にでると、マークがラテン系の男を押していた。ギャング相手にそれをやったら大変なことになると思った彼女は、「やめて」と叫んだが、マークは男を殴った。男たちは車で去っていった。

—捜査は難航した。

治安の悪い地域では、目撃者がギャングの報復を恐れて口をつぐむということは珍しいことではない。しかしレナードの事件では、彼が口論の後に店を離れたあと、付近をぐるぐる回っていた車があったらしい。しかしレナードが帰ってきたあとは、事件が起こるまで何も不審なことはなかった。警察は口論していた三人のうちの誰かがラテン系のギャング関係者で、発砲したのではないかと考えている。

捜査陣はあらたにレナード未亡人にも連絡を取った。何かの手がかりになるかもしれない。「捜査が再開されるならうれしい。11年もたっているのに解決していない。私の人生はあの夜からすっかりかわってしまったのです。」

洗車は手作業だし重労働だが、この仕事を通してマーク・レナードはカワイに仕事に対する姿勢を示すことで、彼がNBAのスターダムを駆け上ることを手助けした。カワイが5歳の時に両親は離婚し、彼は母親と住んでいたが、週末や夏休みには、異母兄弟たちといっしょに父親の店を手伝うことがあった。

ジャクリーンは回想する。「マークは子供たちに、新しいスニーカーが欲しいなら仕事をしろ、と言っていました。カワイは決して口ごたえせず、いたずらなところもあったけれど、とても物静かで父親の言うことをよく聞くいい子でした。そして父親のことを尊敬していました。」

カワイは初めはフットボールで頭角を現したが、高校ですでに190センチを超えていた彼は、バスケットボールが好きになり瞬く間に成長した。しかし自分がフットボール選手であったマークはカワイがバスケットに乗り換えたときには心底がっかりしたものだ。最終的には応援し、練習の手助けもするようになったが。その後彼はリバーサイド郡のキングス高校に転入したが、そこのコーチは最初の練習を見たあと、地元では有名なコーチである自分の父親に電話し、「NBAのオールスター候補が入ってきたよ」と言ったものだ。「周りにも同じことを言い続けたけど、みんなに笑い飛ばされたよ。」

キング高校に来た時のカワイはジャンプショットを苦手としていた。しかしフロアを動き回り、攻守ともに瞬時に的確な判断をする嗅覚はすでに一流のものだった。彼のバスケとボールIQはあっという間に上がり、そして何より父親から受け継いだ無限のエネルギーは群を抜いていた。

高校のコーチは「彼の今のレベルに達するためには、才能だけではなくて誰よりも厳しい練習をこなし、強い精神力を持っている必要がある。カワイがいたときは、練習が終わって私がジムを施錠するんだけれど、私の目覚ましが鳴るころにはジムのドアはすでに開いていた。彼はどうにかしてジムにもぐりこむ方法を見つけ出して練習しているんだ。例えそんな時間にいちゃいけないような夜間でもね。全くもってありえないパワーだった。」

彼がカワイの父親の事件を知ったとき、コーチは夕食の最中だった。マーク・レナードが来ることができなかった試合を終えたばかりだったのだ。彼はキング高校出身のスター選手でカワイのAAUでのコーチだったマーヴィン・リーに、その夜彼につきそってもらった。

リーは回想する。「カワイはほんど感情を表に出さなかった。もし彼のことを知らなかったら、その日彼に何が起こったかわからないぐらいだっただろうね。彼のことを知っていれば、彼はすこし人と違ったところがあるとわかっているけれど。彼は私的なことを絶対表に出さないから。昔も今もそうだ。全てバスケットボールを通じて処理してきたんだ。」

次の夜、キング高校は大一番を控えていた。コーチは試合に出ても出なくても、どちらでもサポートする、と伝えた。「彼は母親、叔父のデニス・ロバートソン、そして他の家族といっしょに現れた。私は試合の運営陣に、黙とうの時間を作らないでくれと頼んだ。やっとの思いでここまで来たのに、そんなことをしたら彼は傷ついてしまうと思ったんだ。聞き入れられなかったけどね。」

レナードはおどろくほど落ち着いており、試合には負けたものの17得点を挙げた。しかし試合終了のブザーを聞いたとたん、母親のもとにかけよって彼女を強く抱きしめ、泣き出してしまった。カワイの友達の誰も、それまで彼の涙を見たことがなかった。

「彼はお父さんのためだけにプレーしていた。そしてこの日の敗戦は、彼にとっては初めての本当に痛みを伴う負けだったと思う。彼のお父さんは働き者だった。でも忙しい中を縫ってできるだけ試合を見に来ていた。コンプトンからは1時間半以上かかるのに。いつも親切で礼儀正しく、カワイにとって立派な父親だったと思う。」とコーチ。

カワイを知っている人は誰もがコートが彼の聖域であるということを知っていた。最終学年になるころには、労働者のエネルギーをもって、洗練されたジャンプショットを決め、平均で22.6得点、13.1リバウンド、3.9アシスト、3ブロックを決めてカリフォルニア州のプレイヤーオブザイヤーに輝いた。現在ピストンズでプレイしているトニー・スネルとともに、レナードはキング高校を30勝3敗、トップ校を押しのけての州チャンピオンに導いた。

そして彼は本当にNBAのスーパースターへの道を歩き始めた。サンディエゴ州立大学で2年プレイしたのち、ドラフト当日のトレードでスパーズが獲得。スパーズでチャンピオンシップとファイナルでのMVPを手にし、同じことをラプターズでもやってのけた。そして今クリッパーズは、2019-20シーズンチャンピオンシップの最有力候補となっている。

「今の家に引っ越した時、荷物の中から古い聖書が出てきました。」とジャクリーンは言う。開けてみると、マークの祈りの言葉が書いてあって、願い事のリストもありました。その中の一つが、「息子がプロになるのを見届けること。」もし今ここにマークがいたら、「だから言っただろう!」と言ったと思います。「だけど彼はそれを見ることができなかった。」

カワイ・レナードとポール・ジョージ–彼もまた南カリフォルニアの出身である—を獲得したクリッパーズは、彼らのお披露目を行ったが、ふだんリッチで有名なスポーツ選手など見る機会もないような人たちが住む地域への還元として、南LAにあるスポーツセンターを選んだ。フリーウエィ105号の反対側、数ブロック先に、昔洗車場だった場所があって、そこがティーンエイジャーのカワイが初めて仕事の厳しさを学んだところであったのは、単なる偶然かもしれない。しかしもしかしたら、彼に仕事の厳しさを教えてくれた人の命を奪ったのが誰だったのか、レナードは自らの帰還によって、ようやく知ることができるのかもしれない。