新しい製品が市場に出るときの様子は、ベル・カーブを思い浮かべればいいでしょう。新しい製品が市場に受け入れられたときは、新興勢力が出来てきて、雇用が創出され、新しい富がそこに生まれる。利益率は高く、経済は潤って地元に利益を呼ぶ。

しかし、ベル・カーブの頂点で、市場は飽和します。競合他社が追いついてきて、コモディティ化が進み、淘汰の段階に突入する。ベル・カーブの右側では、同じ機能ならば値段の高い製品が脱落して、それをつくっていた企業にくっついていた雇用や富が消えてしまいます。残りの富は勝ち残った数社でシェアされることになりますが、それらの企業においても、利益率が下がるにつれて、賃金を削らざるを得ない。そうなると、なけなしの富はオーナー側の手にしか残らない。

この「コモディティの罠」にかかってしまった製品を支える経済は、最終的には、ラテンアメリカのように、一握りのエリートが富を独占して、ほとんどの人がスラムで生活にあえぐような形になってしまうでしょう。

しかし、もしコミュニティが常に新しいイノベーションを興して、新しい富を生み出せる力を持っていれば、豊かな中流社会をつくりだすことができるのです。

この「コモディティの罠」にかかってしまうと、仕事であれ、製品であれ、会社であれ、コミュニティであれ、国であれ、多かれ少なかれ同じ運命をたどるしかなくなります。

もし差別化ができなくて価格のみの競争に巻き込まれてしまえば、コストを削るしかない。その結果は、ウォルマートのように、効率を最大化して価格を下げるか、コストを下げるために、労働賃金を下げざるを得ず、人々の暮らしが苦しくなるか、どちらかしかない。

ルールを守ってまじめに働き、家族への責任を果たそうとするまじめな人たちが、この「コモディティの罠」にかかってしまうと、貧しくなるしかなくなってしまう。

ではどうするか。

その答えがエコノミック・ガーデンにあると、コロラド州リトルトンのBusiness/Industry Affairs ディレクターであったクリス・ギボンズ氏は言います